1964-03-24 第46回国会 参議院 運輸委員会 第15号
十八年には東亜交通公社が生まれ出まして、これが終戦まで続きまして、終戦とともに財団法人日本交通公社となったわけでございまして、その交通公社の中にございました海外宣伝部だけが飛び出まして、財団法人国際観光協会となったのが昭和三十年でございます。
十八年には東亜交通公社が生まれ出まして、これが終戦まで続きまして、終戦とともに財団法人日本交通公社となったわけでございまして、その交通公社の中にございました海外宣伝部だけが飛び出まして、財団法人国際観光協会となったのが昭和三十年でございます。
それから昭和十八年から二十年までは東亜交通公社、つまり大東亜共栄圏におけるいわゆるPRと申しますか、そういった使命を帯びての東亜交通公社というものが誕生いたしております。これが戦争が終わりますとともに財団法人日本交通公社として発足、新しく生まれかわった次第でございます。
また國際観光協会も存続ができなくなりまして、当時の東亜交通公社——現在の日本交通公社の前身でございますが、その東亜交通公債と合併いたしたのであります。それまでは日本交通公壁はもつぱら内外人の旅行のあつせんを主たる任務といたしておりましたが、昭和十八年からは内外人の旅行あつせんとともに、対外観光宣博をも合せてやるという国体にかわつたのでございます。